天明年間、松江城下の水害を防ぐため等の目的により松江藩の命で、宍道湖と日本海をつなぐ人工の運河佐陀川が開削されました。
佐太神社の手水鉢は天明六年九月、清原太兵衛が当社の神池"身澄池(みすみがいけ)"を切り開くに当たり神威をおもんばかり神社に寄進したものです。 身澄池は古来より沐浴すると不浄を取り除くと伝え、今でも忌明けの際にはここにお参りする風習が残っています。 手水鉢は神社東方にある恵美山(えびやま)より切り出した大石で、当社の御神紋である扇の形に穿ってあります。
佐陀川開削工事の難所であった潟ノ内(かたのうち)と鵜灘(うなだ)は地盤が緩く堀上げた川路が一夜にして崩れてしまうありさまで佐陀川の開削は一向に進捗しませんでした。
太兵衛は佐太の神領地を冒した事で神の怒りに触れたと考え、自ら江角浦で斎戒して当社に日参すること百日に及んだといいます。
佐太神社の手水舎は扇型をしていて粋だと思います。御神文が扇だからだと思いますが、丸く削っただけより面白くて私は好きですね。またおみくじも扇型なので、可愛いです。 (Mさま2013/7)
一畑バス(恵曇方面行き)佐太神社前降車 徒歩すぐ