神原神社は天より降りられた神宝の司(いわつつお)、磐筒女命(いわつつめ)と大国主命が祀られ、かつては、神原古墳の上に建てられていました。
神原神社古墳は、加茂岩倉遺跡から近く、南東1.8kmのところに位置しています。車なら数分で行くことができ、1kmほどで神原神社の裏手に出ます。現在の神原神社古墳は、この神社の横手に移設して復元されています。
実は、この古墳は日本中の古代史研究家が注目しています。
この古墳から三角縁心神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が出土しています。この出土例は、特に珍しいことではないのですが、その鏡が景初三年の銘が刻まれているというところに、全国の目が集中しているのです。景初三年は西暦239年、邪馬台国の女王・卑弥呼が魏の明帝のもとに使者を派遣し、明帝から道教100枚を下賜されたとされる年です。先ほども書きましたが、加茂岩倉遺跡とは銅鐸が日本最大の数の出土を記録しているところ。それだけ権力が集中していたということが考えられます。
景初三年銘がある三角縁心神獣鏡は、現在までのところ2面(鏡の数の数え方は面なのです)しか出土していません。一面は大阪の和泉黄金塚古墳からであり、そしてもう一面は神原神社古墳からです。
この古墳から「景初三年」とかかれた青銅の鏡が発見され、出雲が邪馬台国だったという説があげられました。
その他近くにある荒神谷遺跡からも数多くの銅剣・銅鐸・銅矛が発見されており、邪馬台国説は深まっています。
JR加茂中駅から西へ徒歩20分